只今迷走中ブログ

方向性が決まらない!

トイレに行くことが1つの修行であった

その一方で、トイレに行くことが1つの修行であったことを見逃すわけにはいかない。中に入ると、かたく踏み固められた土間に大使用の穴がずらつと並び、小使用の溝が長く伸びている。それ以上に目をひいたのは、当時の大きな掲示板にトイレを使う時の厳しい心得。現代でもそのまま通用し、今こそ必要と思われる内容だ。排泄という行為、東司に入るという行為が修行であり、宗教的行為であったことが理解で7きる。イギリスから来た都市計画を専門とする学者は、神「秘的で、清潔感にあふれている」と感想を述べたが、現代の公衆トイレも、東司の雰囲気を出すことができれば、トイレマナーはずっと向上すると思う。東司の近くには僧侶のための共同風呂もあり、入浴も修行とのことだった。尻を拭うのも身体を拭うのも、すべては修行のようである。阪神・淡路大震災でいざという時のトイレを学ぶ阪神・淡路大震災が発生して5日後の1月22日、無気味にしんと静まり返った神戸。三ノ宮の夜の光景を、10年たった今も忘れられない。くずれたビルの壁面で地震発生の5時46分を指して止まったままの時計、メチャメチャにくずれた足も踏み場もないアーケード街……闇夜の路地から出てきた夜警団の隊列に一瞬ビクッとさせられる。